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人のいのちとは何か?ー「脳死」から考える

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こんにちは。まろん鍼灸接骨院です。

「健康とは何か?」ー もちろん医療の力は欠かせませんが、私たちの〈いのち〉を支える、別の「柱」があるのではないでしょうか。

今回は、「いのちとは何か」という問いを、難しい医療倫理の問題に即して、また人の死生やライフサイクルという切り口から考えていきます。

 

 

 

 

「脳死」とは、呼吸や心臓拍動など、生命活動の最も根本的な部分を司る脳幹を含んで、全ての脳の機能が不可逆的に停止すること(一方、大脳・小脳が機能停止しても、脳幹は生きているのが「植物状態」)。脳死に至ると、人工呼吸器がなければ生命活動を維持できず、それも長期にわたって保つことはできません。

 

欧米では、「脳死は人の死」ということが比較的疑問なく受け入れられ、肝臓や心臓などの重い病気で苦しんでいる人に、脳死した人の体から臓器移植を行う、ということが可能になってきました。

 

そうした海外の状況を受けて、日本でも1990年の法制化を巡って活発な議論が交わされました。その中で、日本では「脳死を人の死とは認められない」と感じる人が多数いる、ということが明らかになってきました。

 

この議論の帰結として、「臨時脳死及び臓器移植調査会(脳死臨調)」により、「脳死による臓器移植を認める」とする報告書がまとめられましたが、そこには「脳死を人の死とすることには疑問がある」意見が付記されています。

 

哲学者の梅原猛さんらを中心に、「死とは、翻っていのちとは何か?」という問いについて哲学的な議論が重ねられ、次のような意見が出されました。「“脳死は人の死”という考え方は、心と身体、精神と物質をきっぱり二分する西洋的な考え方、とりわけ近代のデカルト的な二元論によるものではないか。それに対して日本の文化では、心と身体はそう明確に分けられない。だから、脳が機能せず“死に近い”状態になったからといって、身体が生きている人間を死者として扱うことには疑問がある」。この見解の背景には、心と身体、いのちとモノを明確に分離しないのは「アニミズム」の思考であり、その影響が強い日本文化では、「脳死は人の死」という考え方は受け入れにくい、という見方もあるように思います。

 

 

また、当時の議論に大きな影響を与えたものに、柳田邦夫さんの『犠牲(サクリファイス)』というノンフィクション作品があります。柳田さんの次男が脳死状態になった数日間の、家族の行動や考えたこと、とりわけ次男の人生や死に対する柳田さん自身の思いが語られています。

 

柳田さんは、「脳死であるとはいえ、まだ温かい体に寄り添い、対話している、という意識をもっていると、その息子が死んでいるとは認めにくい」ということを強烈に感じた、といいます。そこには、死というものが単に生物学的な出来事や客観的に理解できる出来事として捉えられるものではない、という認識があるのでしょう。そのような身近に経験する近しい人の死を、柳田さんは「二人称の死」として解釈します。

 

「一人称の死」とは、自分自身の死であり、死をどのように意識し、向き合うか、という問題。「三人称の死」とは、自分と関わりのない他者、例えば遠くの事故や戦争のよる、新聞などで知るような死のこと。そして「二人称の死」とは、自分にとって深い関わりのある人の死を、その人との別れを強く意識しつつ経験する過程を意味しています。

 

二人称の死、という視点で見ると、脳死という一つの身体部位の状態をもって人の死を認めるという捉え方には、何かが足りないのではないか。つまり、死というものは「人と人との関わりの中で起きること」、すなわち一つのプロセスである、という理解が含まれているのです。

 

 

生命倫理学者の小松美彦さんや作家の中島みちさんなど、ほかにも多くの人が「死とは本来、人と人との間で経験されるもの」という考え方を明らかにしてきました。このような、「二人称の死」「人と人との間で起こることとしての死」という理解は、先に述べたアニミズムと結びつく部分もあるかもしれませんが、それ以上に、仏教の「縁」という考え方を思い起こさせるところがあります。

「さまざまな物事は、それだけで存在する“個”から成る、と考えることはできない。何物も、他の存在との関係の中で成り立っている」。これが仏教の「縁、縁起」という考え方で、人のいのちも、縁起の現れとして理解されています。

 

いのちに対する、この「縁」という考え方はまた、この連載の序盤で取り上げた、医師ー患者間のコミュニケーションにも通じているのではないでしょうか。個々人の身体の中にあるモノの異常として病気を捉えるものではなく、医師と患者の関係、またより広い社会的な関係の中で捉え直したい、そういう感じ方とも関わっているのかもしれません。

 

 

 

 

 

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